昔の物をもう一度見てみると

ほんとに恥ずかしいと思ったのよ、と友人が言います。
昔書いた書きぞめの文字が見つかったというのです。
どういうおかしい字を書いたものかしら、というので、そういうものだよと言います。おかしい文字を書いていたものだ、と感じるのは、その文字がおかしいと
わかるようになった、つまり、向上した、というわけです。
昔の方がよかったね、という方が困ったものです。
そういう私も先日、学生の時に学校で書いた文字が見つかりました。
何これ?と一人大笑いしてしまいましたが、多分、その時はそれが精一杯
だったのだと思います。
お清書ですから、その時にだせる力全てを出して表現しているはずなのです。
私は不器用だからという言葉、久しぶりの紙漉き体験でも言ってしまいました。
子供さんは素直で混じりけがない、純粋であると言うのは素晴らしいことです。
私などより余程上手に紙を漉かれます。
さあ、やってみようか、と先生が言われます。
私って不器用ですからね、と前置きしなければならないほど下手なのです。
ああ、やった、めくれた、やり直し、さあもう一度、と、恥かきに行っているのかと思うほど酷い出来です。
出来の悪い生徒で済みません、と言いつつ、昨年漉いたものを見ます。
まあ、少しはマシかな、こればかりはまだまだです。